皇室典範のキホン~生前退位の議論の前に知識のおさらい~

平成28年8月8日午後3時、天皇陛下が「象徴としてのお務め」についてお気持ちを公表されました。

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(宮内庁)

憲法上の制約を踏まえつつも、天皇陛下の一個人としてのお気持ちが全体から強く表れていたように思います。

この発表を受け、今後天皇陛下のご意向である「生前退位」に向け解決すべき課題が多くあることを各ニュース番組が放送しました。有識者会議を開き、論点を整理した上で、皇室典範の改正が欠かせないだろうと。

 そこで思ったのです。

…あれ、皇室典範って何だっけ?

ということで今回は皇室典範について調べてみました。

 

 

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 皇室典範とは

単語それぞれの意味を調べてみると、

皇室:日本の天皇とその一族
典範:規範となる事柄。それを定めた法律  
  (どちらも「コトバンク」の用語解説より)

つまり「天皇陛下とその一族の規範となる法律」ということでしょうか。

この言葉は明治時代の初期に登場します。

 明治時代の皇室典範

  • 憲法制定

明治維新後、近代国家の仲間入りを目指した政府は近代国家の証ともいえる憲法の制定に取り掛かることにしました。

憲法制定に当たり、政府は伊藤博文をヨーロッパへ派遣しました。

海外の憲法、特にプロイセンの憲法について勉強をした伊藤は帰国後、中心となり憲法の草案作成に取り掛かりました。

その後、作成された草案は枢密院で審議され、成立。

1889年2月11日に「大日本帝国憲法」として発布されました。

この憲法の中心的考えは「天皇主権」です。

古代日本より連綿と続く権威ある日本の元首である天皇が日本を統治するという考えのもと、統治権、立法権、軍の統帥権は天皇が権利を有するという天皇中心の統治機構制度が誕生しました。

この憲法をもとに日本はアジア初の立憲国家として近代国家の道を歩んでいくことになりました。

 

このように、日本国家のあり方について規定された大日本国帝国憲法。

では、天皇のあり方とは

そこで生まれたのがもう一つの「憲法」、『皇室典範』です。

 

  • 皇室典範制定

過去に天皇の地位を巡り、日本国内に様々な混乱を招いた反省から、過去の慣習を文章にすることで天皇制度を明確にすることを目指し、作成されました。

この皇室典範は帝国憲法と並ぶもう一つの憲法と位置づけされます。

つまり日本政府に関することは帝国憲法が、皇室に関することは皇室典範がということになり、2つの憲法が存在したことになります。

 

皇室典範(1889年)の内容

では、明治時代の皇室典範の中身を見ていきましょう。

<皇位継承>

第一條 大日本国行為は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承す

従来の慣習を踏まえ、皇位継承資格は男性に限定されました。

 

第十條 天皇崩スルトキハ皇嗣即ち践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク  
(皇嗣(コウシ):天皇の跡継ぎ  践祚(センソ):地位を受け継ぐ)

天皇が崩御された時は、跡継ぎが即位する。
つまり、それ以外の退位は認めていないようです。

過去日本の歴史において、天皇の退位を巡っておこった政治の混乱を防ぐためだと考えられています。

 

<皇族の規程>

第四十二條 皇族は養子を爲すことを得す  得す:できない

天皇の統一性・純粋さを確保するため、養子をとることができないことを文言化しました。

 

<婚姻>

第三十九條 皇族の婚嫁は同族又は勅旨に由り特に認許さられたる華族に限る

結婚をするのにも皇族又は認められた華族(貴族階級)に限定されていたようですね。

 

次に、大日本帝国憲法の天皇に関する事項を一部見てみましょう。

第一條 大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す
第二條 皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を繼承す
第七十四條 皇室典範の改正は帝國議會の議を經るを要せす

以上の条文から、日本の統治者である天皇については皇室典範が定めるが、その皇室典範の改正は議会の議決を経る必要はないことが分かります。(改正は皇族会議等で審議される)

 

この皇室典範は戦後、大きな変更が行われます。

 昭和時代の皇室典範

  • アメリカによる改革

戦後日本はGHQの管理下に置かれます。
GHQの総司令官マッカーサーは、当時の首相幣原喜重郎に憲法の改正を求めます。
もっと自由主義的な内容にしろと。

それを受け、政府を中心に新たな憲法の草案が議論されます。

が、軍の命令権は天皇が引き続き有するとするなど、大日本帝国憲法の考えから中々抜け出せない日本人。

業を煮やしたマッカーサーは、アメリカが草案を作成し日本に提示する方法をとります。

 

  • 憲法制定

海外の憲法や日本の学者の意見を取り入れながら作成された新たな草案は、「天皇は日本国の象徴」、「国民主権」など従来の考えと大きく異なるものでした。提示された日本側は大変驚きましたが、受け入れざるを得ません。

その後、その草案はいくつかの修正がなされ、日本国憲法として1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行されました。

新たな憲法誕生を受け、天皇の在り方が変わったことから、1947年5月3日憲法施行と同日に皇室典範も生まれ変わることになりました。

 

皇室典範(1947年)の内容

では、戦後制定された皇室典範の内容を見ていきましょう。
その前に、まずは憲法の条文から。

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

天皇は日本国の象徴という位置づけになり、国政に関する権利は持たなくなりました。

第2条皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

天皇家の家憲とされ、大日本帝国憲法と同等の位置づけに置かれていた皇室典範が、国会の議決を受けること、つまり法律という位置づけになりました。

これらの憲法の条文を受け、皇室典範は明治時代からどう変わったのでしょうか。

<皇位継承>

第1条 皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する。

皇位を男に限定する条文はそのまま生かされました。今上天皇のお孫悠仁親王が2006年にお生まれになる前までは、この条文を改正し女性天皇を認めるべきではないかという議論が頻繁に行われました。

 

第4条  天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

明治の皇室典範に引き続き、天皇の退位は崩御に限定をしました。
陛下の望まれる生前退位を認める場合はこの条文の改正が必要になってきます。

<皇族の規程>

第9条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。

こちらも明治時代の考えと変わっていません。

<婚姻>

第10条 立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。 
         (立后皇后を決めること=天皇の結婚)

明治時代にあった結婚相手は華族に限定される決まりはなくなりました。

では、完全に自由になったかといえばそうではなく、皇室会議の承認は要ります。

1958年当時皇太子であった明仁親王が美智子様とご結婚される際も、皇室会議が開かれました。
結果は満場一致で可決。しかし、wikipediaの皇后美智子様のページを見ると、美智子様が華族出身ではないことから反対意見もでていたようです。

旧皇室典範との違い

以上のように条文を見ていくと、皇室典範の中身はそれほど変わっていないように感じます。
しかし、最も大きな変更点は皇室典範が法律になったということ。
今までは皇室典範の改正を議会が行うことはできなかったのですが、
戦後は議会による改正が可能となりました。

主権者である国民の意思に基づいて、天皇は日本国の象徴になっている。

そうであるがゆえに、天皇の在り方を定めた皇室典範も国民の意思を反映できるようになりました。
言い換えれば、天皇の地位は国民の総意に基づいているため、天皇自らが自らの意思で退位はできないことになります。
退位するのにも国民の総意が必要であるという考えが現在の内閣法制局の考えとなっています。

 まとめ

天皇は政治に介入をすることができません。そのことを重々承知の上で、日本のために天皇陛下は一個人としてお気持ちを今回述べられたのだと思います。

お気持ちを踏まえどう対応していくのかは国民に委ねられています。

120代以上続く非常に伝統ある皇室制度をどう捉えていくのか。どうあるべきなのか。
皇室典範ひいては、皇室制度を十分に理解したうえで、生前退位の議論を進めていく必要があることを感じました。


参考文献

・『池上彰の憲法入門』 池上彰
テレビでお馴染みの池上先生の著書。具体的な事例に基づき説明されており非常に分かりやすい内容。天皇のあり方や憲法改正について考える上で必ず読んでおきたい一冊です。

・国立国会図書館 「日本国憲法の誕生