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定年制度のキホン~定年制っていつからできたの?~【定年の歴史】

私の会社では、定年年齢が60歳と定められており、その後再雇用を希望するか本人にアンケートを実施しています。
再雇用されると給与額が従前より大きく下がってしまうのですが、対象者の多くの方が再雇用を希望され、65歳まで勤務されています。

また、最近ではサントリーホールディングスや大和ハウスが65歳定年制度を導入して話題になりました。

少し前までは定年といえば55歳でした。いつから65歳に?
そもそも定年っていつの時代からあるんだろう?

ということで、今回は定年のキホンについてまとめてみました。

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定年制度はいつから?

アメリカでは、定年を設けることは「年齢による差別だ!」ということで、定年制が禁止されています。
イギリスでも2011年に定年制が法律により廃止されました。

一方、日本ではいまだに定年制が常識とされています。
そんな日本の定年制度はいつからできたのでしょうか?

日本の定年制度は、明治時代にルーツがあると言われています。

定年の誕生

【明治】

明治以前の日本社会では、働く人々の多くが個人事業主でした。
個人事業主であるため、自分がいつ・どのように働くのかは自分で決めることができました。
しかし、明治時代に入ると、重工産業が発展し、経営者に雇われる工場労働者が増加します。
その結果、自分の働き方を経営者に管理される人々が急激に増えていったのです。

危険な作業が多い工場の経営者にとってみれば、ヨボヨボのおじいさんには働かせたくありません。

そこで、定年を設けて高齢者を自動的にクビにする企業が生まれてきます。

1887年 海軍の火薬製造所が55歳の定年制度を設ける

定年制の始まりは、1887年に海軍の火薬製造所が55歳の定年を設けたのが最初いわれています。
明治時代の平均年齢は40歳半ばと言われていますから、だいぶ高齢な定年を設定していたようですね。
その後、愛媛にある松山紡績という民間会社でも1894年に50歳の定年を設けたという記録が残っています。

しかし、この時代に定年制度はあまり普及はしませんでした。

定年制度が普及したのは昭和初期です。

定年の定着

【昭和(第二次大戦前)】

定年制度が普及したきっかけは、第一次大戦によるバブルとその後の大不況です。

20世紀前半、ヨーロッパ各国は自国製品を大量にアジアやアフリカに輸出し、莫大な富を稼いていました。
しかし、1914年に勃発した第一次大戦により状況は一変。ヨーロッパ各国は戦争に資源を集中させる必要があったため、輸出量が激減します。

戦場となっていない日本はここぞとばかりに、ヨーロッパ各国の代わりとしてアジア・アフリカに積極的に綿糸や雑貨物の輸出を行いました。
それだけでなく、戦争中のイギリスやロシアに対して、大量の軍需品を売りつけました。
その結果、日本は第一次大戦のおかげで景気が一気に上向きました。(大正バブル

しかし、この好景気も長くは続きませんでした。
戦争終結により、軍需が世界的に激減。
また、欧米の企業が輸出活動を本格的に再開させたことで、日本の輸出量が減少していきます。
戦争の終結とともに、大正バブルははじけました。

それに加えて、1923年に関東大震災
さらに、1929年には世界大恐慌がおこります。
ここ数年海外への輸出に頼っていた日本は、史上まれにみる大不況に陥りました。

そんな大不況の中で定年制は浸透していきます。

多くの企業は、大戦によるバブル期に大量の労働者を雇っていました。
しかし、大不況に陥ったことにより、企業は大量の労働者を今後も養っていく余裕がありません。
そこで企業は、雇い過ぎた労働者を減らすため、定年制を採用する企業が増えていきます。

以上の定年の歴史は、日本銀行の定年制度の移ろいを見ていくと、とても分かりやすいです。

【日本銀行の定年の歴史】

【明治~1919年】
 設立以降から定年制はなく、老齢者について特別手当を設けて、退職を認めていた。

⇧大正バブル期までは、ある一定以上の年齢になったら特別手当(今でいう割増退職金)を支払うこととし、退職は労働者の自発性に任せていました。

【1919年】
 満六十歳を超えた後の勤務は退職金の経験年数に含めないこととした。

⇧大正バブルがはじけた頃には、60歳を超えて働いても退職金は増えないように制度を変更します。実質的に60歳を定年としたということです。

【1931年】
 一般の例にしたがって満55歳の定年制を設ける。

(引用部分は全て:『日本銀行八十年史 (1962年)』より要約)

⇧そして、世界大恐慌の後には遂に55歳の定年制を設けました。
 「一般の例」とあることから、明治期から変わらずこの時代も55歳定年が一般的であったことが分かります。

昭和初期に起こった大不況で労働者を減らす必要があったことから、定年制度は普及していったのでした。

 

【昭和(第二次大戦後)】

55歳定年制度は第二次大戦後の高度経済成長期まで引き継がれます
そしてこの「55歳定年」は、高度経済成長期の日本にとってなくてはならない存在にまでなります。

高度経済成長期の日本企業には、3つの特徴がありました。
それは 「企業別組合」・「終身雇用」・「年功序列賃金」の3つです。
これらは「日本型経営の三種の神器」とも呼ばれています。

この内の「終身雇用」と「年功序列賃金」を維持していくために、定年制度は必要不可欠だったのです。
つまり、

●学生を一括採用して最後まで面倒見る⇒同数の社員を一斉に辞めさせたい!
●年次が上がるたび給与を上げる⇒高齢者の給与が高くなりすぎてしまう!

それらをすべて解決するのが定年制度でした。
定年制度があったからこそ、一括採用や年功序列型賃金が実現できたのです。

日本独自の雇用形態を維持していくためには、この定年制度は必要不可欠な制度だったのです。

定年の引き上げ

昭和後半に入ると、定年制度の年齢が55歳から段階的に引き上げられていきます。
最大の理由は少子高齢化です。
日本は戦後、高度経済成長や東京オリンピック開催を機に、公衆衛生が格段に改善されました。
その結果、平均寿命が1980年ごろには男女どちらも70歳を超えていきます。

出典

また、少子化問題はこの時期からすでに大きな社会問題として騒がれていました。
1940年後半には年260万人以上いた出生数(団塊世代)が、1980年代には150万人まで低下しています。

出典

少子高齢化による労働力不足に危機感を抱いた政府は、企業に定年年齢の引き上げを要請します。

1986年:高年齢者雇用安定法の改正により、60歳定年の努力義務化

60歳未満の定年制度を設けている企業に対して、60歳に定年を引き上げるよう努力義務を課しました。

 

【平成】

平成に入ると、さらに高齢化が進んでいきました。
女性の平均年齢が80歳を超えていったのです。
政府は高年齢雇用対策を更に充実させていきます。

1990年:定年後再雇用を義務化
1994年:60歳未満定年制を禁止 (1998年施行) 

1998年に「60歳定年」時代が始まりました。

全員が65歳まで働く社会へ

21世紀が近くなると、団塊世代の退職が見えてきました。
(1947年生まれは、2007年に60歳 2012年に65歳)

団塊世代の退職を目の前にした政府は、年金支給開始年齢の引き上げと同時に、定年をさらに引き上げます

2000年:65歳までの雇用確保措置を努力義務化
2004年:65歳までの雇用確保措置を義務付け (2006年施行)

2004年の制度改正により、2006年以降は以下の措置の内1つを設けなければならなくなりました。

【2004年改正による定年ルール】
  1. 継続雇用制度の導入(労使協定により、継続対象となる基準を定めることが可能
  2. 定年年齢の65歳引き上げ
  3. 定年制の廃止

2006年に「65歳定年」時代が始まりました。

多くの企業は独自の基準を設けて①で対応をしました。
会社独自の基準を設け、雇用したい高齢者だけを雇うことができたのです。

しかし、現在ではその基準も設けることができません。

2012年:希望者全員を65歳まで継続雇用することを企業に義務付け(2013年4月施行)

2004年時のルールでは、高齢者を雇用するかどうか会社独自の基準を設けることが出来たのですが、これすら許されなくなりました。

こうして2013年には、希望者全員が65歳まで働く社会となりました。

少子高齢社会における国民皆年金制度を維持していくために、政府は定年年齢をこの30年で10歳も上昇させたのでした。

今後

安倍政権下において、65歳以降の高齢者も働く「生涯現役社会」の議論が始まりました。
近い将来アメリカのように定年制度が禁止されてしまうかもしれません。
しかし、アメリカの場合は解雇が当たり前だからこそ、定年制度が必要無いのです。
一方、日本のように解雇が実質できない状況の中で定年制度が無くなってしまうと、ますます日本企業は正社員の雇用をためらうようになってしまいます。
そのツケを受けるのは、若者です。

定年年齢を法律で引き上げることが、本当に少子高齢社会の問題解決になるのか。
改めて根本から議論をし直す必要があるように感じます。


それでは、65歳定年制度を企業はどのように実施しているのか。
こちらの記事にまとめてみました。↓
定年のキホン~60歳を超えたら給与は変わるの?~

 

参考図書

・『仕事と日本人 (ちくま新書)』武田晴人
 日本人の仕事観の移り変わりを多様な資料を基に論じた一冊。
 自分の労働観を相対化させられた本でした。