映画『her/世界でひとつの彼女』AIと人間の性交シーンを考察【心身二元論】

映画『her/世界でひとつの彼女』。
Amazonプライムで観賞しました。

評判がいいことは聞いていたのですが、今まで観れていませんでした。
先日やっと観賞したところ、「面白い!」。
なんでこんな映画をほったらかしにしていたのか? という後悔と、
面白い映画に出会えた! という喜びで、胸がいっぱいです。

AIとの触れ合いを通して「人間とは何か?」という問いをストーリーにうまく混ぜ込ませており、しかも心が揺さぶられる映画。

いろいろ語りだすと5000文字ぐらいになってしまいそうなので、今回は作品の中で最も印象に残ったサマンサとセオドアの性交のシーンに絞って感想を書いていきたいと思います。

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映画『her/世界でひとつの彼女』のあらすじ

2014年に公開されたAIと人間の恋を描いた近未来SF恋愛映画。
時代は、AIが現代よりも発達し、一人一人がAIに生活をサポートしてもらうことが日常になりつつある近未来の話。

主人公のセオドア(普通のおじさん)も、最新のAIが搭載されたOSを購入。
OSはサマンサと名乗り、セオドアの良き話し相手となり、生活のサポートをしてくれます。
(イメージは、iPhoneに搭載されているSiriが、もっとパーソナライズされ、人間の感情も覚えたようなAI)
次第にセオドアはサマンサに恋愛感情を抱くようになる。
一方のAIであるサマンサも人間の感情を学び、セオドアに好意を抱きつつある。

ついに両想いになった二人。

しかし、サマンサは声だけの存在。
どれだけ感情を高めようと、そこには越えられない壁が高くそびえたつ。
果たして、彼らの恋愛は成立するのか?

AIに心惹かれる時代

現代目線でこのあらすじだけを読むと、アニメに恋するオタクを連想して、気持ち悪さを覚えるかもしれません。
しかし、観ていただくと分かるのですが、この作品はそんなマニアック感は全く感じさせません。

街中で声を発しながらAIと喋っているのが当たり前の時代。
AIは常にそばにいて良き相談役となってくれます。

そんなAIに恋をしてしまうのも無理はないよな。と、誰もが思ってしまう世界観を描いています。

しかも、セオドアをサポートするAIのサマンサが非常に魅力的なんです。
少しかすれた声にセクシーさを感じつつ、どこか安心感も与えてくれる魅力的な喋り方。
恋人と母親を兼ね備えたような存在で、主人公のセオドアのそばに居続けてくれるんです。

誰もが心惹かれるAIサマンサ。
声だけでその魅力を表現できたスカーレットヨハンソンの演技力に脱帽です。

サマンサが考案したセオドアとの性交方法は成立するのか?

私がこの映画で一番印象に残ったシーンは、声だけの存在であるサマンサがセオドアと性交をしようと試みるシーンです。(以下、ネタバレあり)

お互い愛し合っているのに、肉体的には愛し合えない2人。
もどかしさを常に感じていたサマンサは、ある方法をセオドアに提案します。

それは、「AIのための代理性交サービス」を利用すること。
イザベルという綺麗な女性にサマンサ役を演じてもらい、肉体的にはイザベルとセオドアが性交するという方法です。

イザベルはイヤホン越しにサマンサから指示を受けながら、セオドアと性交をする。
セオドアは自分が装着しているイヤホンからサマンサの喘ぎ声が聞こえる。
これでセオドアはAIであるサマンサと性交したことになる!
というのが「代理性交サービス」です。

セオドアは「赤の他人じゃないか!」と戸惑いつつも、この方法で性交をすることをしぶしぶ承諾します。

しかし、感情移入ができませんでした。
「どうしても浸れない。やっぱり他人だ。」と、途中で性交することをあきらめてしまうのです。

確かに、肉体は赤の他人なので、サマンサとしたことにはなりませんよね。
セオドアがためらった気持ちは良く分かります。
観客の多くは、「AIが考えることは異常だなぁ」と思ったことでしょう。

しかし、心身二元論の視点でこの場面を考えると、そう簡単に異常だと割り切れないと思うのです。

心身二元論とは?

心身二元論について簡単に触れておくと、
心と身体を別物と捉え、精神(心)が身体を司っている。
という西洋的な考え方のことですね。
日本は、反対に心身一元論と言われています。

西洋では、人が死んだら土葬します。
なぜなら、最後の審判の時に魂が戻り復活するから。
(=魂と肉体は別)

日本では人が死んだら、火葬して身体も成仏させてあげます。
(=肉体に心も宿っているから)⇐諸説あり

心身二元論的視点だと、サマンサはセオドアと性交したことになる?

この心身二元論で代理性交のシーンについて考えてみましょう。

イザベルはAIであるサマンサの言いなりです。
彼女自身の感情や意志はその場にはありません。
サマンサの代わりを務めるただのマネキンのような存在です。

セオドアがそんな肉体と性交をした場合、
心身二元論にもとづくと、サマンサと性交を交わしたと言って良いのではないでしょうか?
なぜならイザベルの身体を司っているのはサマンサの心だから。

心が常に身体より上位の概念であるならば、サマンサが提案した方法で、二人は性交を交わすことができたのです。

しかし、セオドアはこの方法を拒否します。
どうしても感情が追いつかなかったのです。

「果たして、心って何だろう?」
そんな哲学的問題をド直球に突き付けられる感覚があり、とてもしびれたシーンでした。

AIを描くことで人間を浮き彫りにする

今回取り上げたシーンのように、この映画はAIを描くことで、人間という存在を浮き上がらせる作りになっています。

人間の感情って何?
人間の心はどこにあるの?
恋愛とは?

そんな哲学的な問いかけが作中に綺麗に織り込まれています。
しかも哲学的な難しい問題をテーマにしつつ、この映画は常に心揺さぶられる感動的な作品になっています。

「凄い作品に出合ったー!!」
久々にそう叫びたくなる映画でした。
自分が感じたこの感動が少しでも誰かに伝わったら幸いです。