『君の名は。』のキホン~シン・ゴジラと共通する喪失感~

平成28年の日本映画シーンをにぎわせている2本の映画。

『シン・ゴジラ』と、君の名は。

平成28年8月26日に公開された『君の名は。』は公開8日間で212万7,800人を動員。
12月現在では、興行収入が200億円を超え、まさかの邦画歴代2位に躍り出てしまいました。
一方の『シン・ゴジラ』は公開から一か月で360万人を動員し、どちらもその年を代表する作品間違いなしの大ヒットとなっています。

今回はそんな大ヒット作の『君の名は。』のお話です。

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簡単なあらすじ

千年ぶりとなる彗星が一か月後に訪れる日本。
岐阜県の山奥で暮らす女子高生三葉(みつは)は憂鬱な日々から抜け出したいと望む。

「来世は東京のイケメン男子にしてくださいー!」

そんなある日、目が覚めたら都会に住む男子高校生の瀧と体が入れ替わっていた。
戸惑いながらも次第に互いに惹かれ合う両者。
お互い会いに行こうとするが、時間という運命が二人を分かつ。

時間が糸のようにもつれ、からまり、交差した二人の運命はいかに。。

感想

【あっという間の100分】

最初の10分ぐらいは、物語に中々入っていくことができませんでした。
それはおそらく女子高生三葉が巫女さんという設定にリアル感を感じなかったことと、
アニメ映画自体を観るのが自分には久々だったからだと思います。

しかし、10分ぐらい経過すると突然RADWIMPSの曲が。
映画を観ているというよりは、RADWIMPSの新曲のPVを観ているような錯覚を覚えます。
そしてその曲で完全に心を持っていかれました。

その後は作品にどっぷりとのめりこみ、あっという間の100分間。
今回も新海監督の手法にまんまとしてやられたのでした。

 

【新海作品に横たわる美しい時間の喪失感】

新海誠監督の映画を観終わった後は、いつも甘酸っぱさと喪失感がないまぜになったセンチメンタルな感情に襲われます。

学生時代に味わった甘酸っぱい青春の思い出。
そしてその時間はもう自分には永遠に訪れないのだなという喪失感。

それらが淡い色彩で美しく描かれ、テーマに合った曲と共に物語は進んでいく。
そんな新海作品を見ると、センチメンタルの底なし沼にはまってしまい、丸一日抜け出せられなくなります。。

今回の作品でも、甘酸っぱい青春とその後の喪失感がふんだんに描かれていました。

 

【自然災害による喪失感】

特に今回は時間による記憶の喪失だけでなく、
自然災害による喪失感も描かれていたように感じます。

過去の作品でも、戦争による別れなどが描かれていましたが、SF的要素が強く、今回のような災害による別れをリアルに描いたのは初めてなのではないでしょうか。

隕石衝突により町全体そして愛する人が亡くなってしまう。
3年たっても立ち入り検査区域となり、一向に復興の目途が立っていない状況。
自然の脅威を前に味わう人間の無力感。
そんな自然災害による無力感が描かれてい多様に感じます。

時間という抗えない運命の中で失われた青春の時

自然災害というなすすべなく破壊されてしまう日常の景色

それら2つの喪失感がこの映画には描かれていたのではないでしょうか。

シン・ゴジラとの共通点

圧倒的な存在による日常生活の突然の破壊

ということを考えると『シン・ゴジラ』と共通していると思います。

突然の災害により破壊されてしまう日常。人々はその破壊からただただ逃げるしかないという無力感。そういった要素がゴジラで描かれているのは当たり前として、今回の新海作品にも描かれているのは、意外でした。

そして、2つの映画に共通しているもう一つの点は「リアル感」を強く意識しているという点。どちらも描写をかなりリアルに描くことを意識しています。

そんなリアルを強く意識した2作品で、
自然災害による破壊が描かれているということ、
そして、
その2作品が多くの日本人に支持されている
ということは、
日本人の意識には自然災害が日常的なものとして受け入れている(受け入れざるを得ない状況にいる)からなのではないでしょうか。

自然災害により大切なものを失う大きな喪失感

ここ数年で何度も大災害を経験した日本社会にとって、その喪失感という感情は国民共通の感情なのかもしれない、そう考えさせられた映画でした。