『コンビニ人間』を読んだ感想【普通を押し付ける悪意のない暴力】

最近30歳という節目を迎えました。
この年になると、「いつ結婚するの?」「子どもは?」「昇進した?」など、自身の人生に関する質問が増えてきました。
日本では、「30歳になるころには、会社では部下を持ち、家に帰れば奥さんと小さな子供がいる」という生活が<普通>なのでしょう。

一方で、そんな人生を歩んでいない人も多くいます。
彼ら、彼女らは普通ではないのか?

この小説の主人公も、そんな<普通>の人生を過ごせない人のひとりです。

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あらすじ

彼女は生まれつき人の気持ちが把握しづらい特徴を持っています。(発達障害なのでしょう。)
それゆえに、空気を読めない言動をとってしまい、周囲から煙たがられていました。
周囲の人間から<普通ではない>と思われてしまったら何かと苦労することを知った彼女は、知人の言動を真似しながら何とか日常生活を生き抜いてきました。

そんな彼女が唯一落ち着ける環境が、コンビニ店員でした。
自分がすべきことは全てマニュアル化されている。
マニュアルに沿って行動をすれば<普通>でいられる。
彼女にとってコンビニ店員はまさに天職でした。
彼女は大学在学中から18年間コンビニでアルバイトをし続けました。

そんな彼女の日常を、一人の男性が狂わし始める・・

果たして、<普通>でいられない彼女は、現代社会の中に自分を確立できるのか?

<普通>を押し付ける側になっていないか?

大学卒業しても就職活動も結婚もせず、十年以上コンビニでアルバイトをし続ける彼女。
そんな彼女を、周囲の人は不思議がります。

「結婚もしていないのに、コンビニ店員でアルバイトし続けているの?」
「就職活動はしないの?」

自分の周りに彼女みたいな人がいたら、つい自分もそんな質問をしてしまいそうです。
質問をする側に悪意はないのでしょう。
ただ、質問をされる彼女側にしてみれば、「お前は普通ではない」というメッセージを毎回突き付けられている状況です。
それは、【悪意のない暴力】といっても過言ではないのかもしれません。

「そんな暴力を自分もしていないか?」
この小説を読んで、自分の言動を見直したくなりました。

RAD WIMPSの『棒人間』を思い出す

『コンビニ人間』を読んで、ある曲を思い出しました。
それは、RAD WIMPSの『棒人間』です。

↑リンクの中で視聴ができます。

日テレのドラマ『フランケンシュタインの恋』の主題歌になっていた曲ですね。
『コンビニ人間』を読んでいる間、この曲が頭に流れて離れませんでした。

出だしの歌詞を一部抜粋します。

ねぇ 僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい
そっくりにできてるもんで よく間違われるのです

僕は人間じゃないんです じゃあ何かと聞かれましても
それはそれで皆目 見当もつかないのです

見た目が人間なもんで 皆人並みに相手してくれます
僕も期待に応えたくて 日々努力を惜しまないのです

笑顔と同情と謙遜と 自己犠牲、朝気象に優しさと
優に1億は超えそうな 必要事項を生きるのです 

棒人間』歌詞より

この歌詞の「人間」の前に「普通の」という言葉を入れると、まさに『コンビニ人間』の彼女を描くことができます。

どちらの作品も、<普通>になれない人たちの苦しさを描いています。

どうにか<普通>であろうと努力し続ける<普通でない>人たち。
そんな彼ら・彼女らに、「そのままでいいんだよ」と言える人であれたらと思います。

少なくとも、<普通>を押し付けることはやめようと思った作品でした。