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「メジャー」と「マイナー」という表現は令和時代にも使われるのか?

このテーマはすでに多くの人が主張していて、誰でも思いつく内容ですが、頭の整理のために記事にします。

この前テレビを見ていたら、『これから売れそうな人たち』という特集で、ネットで有名になっているアーティストが紹介されていました。
番組ではそのアーティストに対して出演者がテレビで売れるためのアドバイスをしていました。

テレビに出たらメジャー。

さすがにこの考えは令和時代には通用しないんじゃないかなぁーと、モヤモヤした気持ちでその番組を見ていました。

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テレビが作り出した「メジャー」という分野

今までは、テレビを中心としたマスコミ業界が「メジャー」を作り出していたのだと思います。

メジャーを知らなければ遅れてる。
マイナーを知っている人たちはオタク。

という二元論が昭和・平成時代の常識でした。

平成中盤に学生時代だった私も、世間(クラス)の流行りに乗り遅れないように必死になって流行を追っていました。
社会全体が、流行に乗り遅れることをとても恐れていた時代だったように感じます。

ネットが生み出した分断されたコミュニティ社会

しかし、個人が発信するのが当たり前になった現代では、その二元論は通用しなくなってきています。

価値観が似た人たちだけでコミュニティを作り、その中で文化を生み出していく。
小さなコミュニティが無数にできた分断社会では、メジャーかマイナーかという分け方は通用しません。

平成時代は、「流行になったあれ、あなたも持ってる?」と問われ続けたのが、
令和時代は、「で、あなたは何が好きなの?」ということを問われ続ける社会になったんだと思います。

しかし、未だにテレビ業界などの昔ながらのメディアでは、メジャーを作り出そうと必死になっている印象を受けます。

視聴者はそんな「メジャー」を作り出そうとするマスコミの姿勢を嫌悪している気がします。
デレビ好きな自分としては、ますますテレビ離れが加速しそうで怖い状況です。

流行に乗ろうとすればするほど孤独になる時代

個人に話しを戻すと、
昔みたいに、「メジャー」を追い続けても終わりがありません。
そもそも「メジャー」なんてもはや存在しないのだから。

昭和・平成時代の人々は、マスコミが作り出す流行の波に乗っていることで、世間に属していると実感できていました。

しかし、令和時代にそんなことをしていても、孤独感の穴は埋められないでしょう。
「自分はこれが好き!」と言えるものが一向に見当たらず、どこのコミュニティにも属せない。
ますます孤独感が拡大していくだけに思います。

自分の興味を深堀りする時代にしたい

「コミュニティに属するべきだ!」ということをこの記事で書きたい訳ではありません。
(もちろんコミュニティに属することは良いことですが。)

令和時代は、世間の流行りに乗ろうとすればするほど、逆に孤独感が強くなる時代になってきているのではないか。
そんな危険性をはらんだ時代であることをこの記事で伝えたかったことです。

流行は社会の一事象として距離を置いて、本当に自分が興味のあることを深めていきたい。
令和時代はそんな生き方をしたいと思う今日この頃です。

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