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めちゃイケ終了から考えるいじめっ子的(制裁的)な笑いの条件

フジテレビの長寿番組『めちゃ×2 イケてるッ!』の終了が発表されました。
めちゃイケは、小学校の時から現在まで最も好きな番組の一つです。
そんなめちゃイケが終わると聞いた時は、かなりショックでした。

最近は視聴率もあまり良くなかったそうで(2010年までは20%が当たり前だったのが、2017年の平均は6%ぐらい)、
めちゃイケ特有の笑いが時代に合わなくなったのかぁと感じます。
ただ、その一方でSNSでは終了を悲しむ声がたくさん見受けられました。

「終了を嘆くなら、まずみんな観ろよ!」と思うのですが、ある本を読んだことで番組の終了に自分なりの結論を出すことができました。

めちゃイケは、視聴者との「めちゃイケ共同体」を維持できなくなったために、終了したのではないか

今回はそう考えた理由をまとめていきます。

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めちゃイケの笑いの特徴について

めちゃイケは様々な方向から笑いを提供してくれますが、一番のメインはいじめっ子的(制裁的)な笑いだと思います。
つまり、いじめっ子達がいじめられている人を見てみんなで笑うような、そういった笑いが中心にある気がします。

例えば、
数取団で失敗したら力士にボコボコにされたり

 

お風呂の妖精チェチェナちゃんがゲストに全力の水ビンタを喰らわせたり

爆裂お父さんが、怒り狂ってアイドルをジャイアントスイングしたり

などなど。(笑)
どれもめちゃくちゃ笑わされました。

こういった笑いには、先ほど述べたいじめっ子的(制裁的)な笑いがベースになっていると思います。
「いじめっ子的」と聞くと悪く思うかもしれませんが、フィクションとしてそういった笑いを視聴者に提供するのは社会にとって必要なことだと思っています。
そして、そういった内容の番組は何もめちゃイケに限ったことではなく、民放のバラエティ番組のほとんどが採用している笑いの一番オーソドックスな方法だと思うのです。
(落とし穴に落としたり、熱湯風呂に入らせたりなど)

なぜ、いじめっ子はいじめられっ子を笑うのか

では、なぜいじめは笑いになるのか。
この疑問に対して、『ヒトは「いじめ」をやめられない』という本が参考になりました。

本書では、「いじめは人間本来に備わった機能であるため、いじめをなくすことはできない。」
といった趣旨が脳科学的な観点から述べられています。

【本書概略】

ヒトは共同体を作って、他の生物との生存競争に打ち勝ってきた。そのため、共同体を破壊するような存在がヒトにとって最も危険な存在になる。共同体の結束が強くなればなるほど、共同体を破壊する異物を敏感に発見し排除しようとする。それがいじめのメカニズムである。
また、異物を排除する制裁行為に人は快楽を感じる。その快楽は食事やセックスよりもドーパミンが放出され、正義達成欲求や承認欲求が満たされるため、日常生活の中で最も快楽を感じられる行為の一つとなっている。

共同体を守るための制裁行為が、セックスよりも気持ちがいい行為という記述には衝撃を受けました。

「正義の名のもとの制裁行為はヒトに快楽を与える。」という視点から現代の日本社会を視てみると、SNSの炎上騒動やワイドショーの不倫報道があんなに熱を帯びるのも分かる気がします。
めちゃイケをはじめとした日本のバラエティ番組によくある「いじめっ子的笑い」には、この制裁行為による快楽がベースにあるのでしょう。

なぜ、めちゃイケの笑いは支持されなくなったのか。

めちゃイケはこの7年の間に視聴率を大きく下げてしまいました。バラエティー番組の視聴率低下は、その番組の笑いが通用しなくなったと言い換えることができると思います。

では、なぜ、制裁行為をベースにしためちゃイケの笑いは、支持されなくなったのか。
それは、視聴者がめちゃイケに共同体意識を持てなくなったからではないかと考えます。

ヒトが制裁行為(いじめ)をするのは、共同体を維持するのが一番の目的です。
そして、そんな制裁行為にヒトは快楽を感じます。

では、自分がその共同体に属している意識が無かったらどうでしょうか。
例えば、学校のクラス内でイジメがおこっていた時を思い返してみて下さい。いじめっ子たちはいじめられっ子を見て笑っていたでしょう。その一方で、クラスの端っこでただ見ているだけの女子たちは笑っていなかったのではないでしょうか。

何が言いたいかというと、いじめられっ子を笑うのは、いじめっ子達と同じ共同体にいると感じている人だけが笑うのではないかということです。
言い換えれば、「同じ共同体にいる」という共同体意識を持つことで初めて、制裁的ないじめが笑いとして成立すると思うのです。

めちゃイケの笑いが通用しなくなった原因は、視聴者がめちゃイケに対して、この共同体意識を持てなくなったからだと考えます。

めちゃイケ離れの理由その一:テレビ離れ

では、なぜ視聴者はめちゃイケに共同体意識を持てなくなったのか。
2つの原因があると考えます。

一つ目の原因は、単純にテレビ離れです。

若者がテレビを見なくなったと耳にタコができるぐらい聞くようになりました。
NHKの調査によると、20代の内、平日にテレビを2時間未満しか見ない割合は、2010年には48%だったのが、2015年には67%に増加していたそうです。(全く見ない層と短時間視聴者の合計値)

※丸で囲まれている部分は全く見ない層の割合
参考:「日本人とテレビ 2015」調査 結果の概要について

めちゃイケは身内ネタが多く、前回の放送に関連した企画が多いのが特徴です。
そんなめちゃイケに共同体意識を感じるためには、毎週欠かさず見ていることが重要です。
一度めちゃイケから離れてしまうと、再度めちゃイケの笑いを把握するのに時間がかかってしまい、当事者意識を持つのが難しくなってしまいます。
また、ここ最近はフジテレビ批判やめちゃイケ批判を耳にする機会が増えました。
めちゃイケから離れている状態でそのような批判を耳にすると、ますますめちゃイケに共同体意識を持つことが難しくなってきてしまいます。

めちゃイケ離れの理由その二:SNSでの実況の流行

テレビを見ながらTwitterで実況中継をするのが当たり前な時代になりました。
例えばこの記事を書いている2017年11月28日23時のTwitterのトレンドを見てみると、
テレビで放送中の内容が多くを占めています。


(当時、日テレで大型の歌番組を放送していたため、「亀と山P」や「TOKIO」がランクイン)

テレビを見ながらTwitterで感想を共有しあうのが日常的になってきました。
このようにTwitterで感想の共有が行われることで、視聴者の属する共同体が変更されてしまったと思うのです。

つまり、今まではめちゃイケを見ている時、めちゃイケメンバーになったつもりで番組を見ていました。(少なくとも自分は)
例えば、オファーシリーズのライオンキングで、岡村さんが本番の舞台で大暴れしている時は、モニター室のやべっちと同じようにハラハラしていました。

めちゃイケ視聴者は、自分が一人のめちゃイケメンバーになったつもりで「めちゃイケ共同体」を楽しんでいたと思うのです。

その一方で、Twitterでリアルタイム実況をしてしまうと、「めちゃイケを見ているうちら」という視聴者集団が別にできあがってしまいます。今までの「めちゃイケ共同体」ではなく、新たにできた「めちゃイケ視聴者共同体」に属することで、めちゃイケメンバーとは距離が空いてしまうことになります

その結果、めちゃイケメンバーとの共同体意識が薄れ、めちゃイケの笑いが通用しにくくなってしまったのではないかと考えます。

結論

以上のことをまとめると、

いじめっ子的(制裁的)なお笑いがベースにあるめちゃイケは、視聴者に共同体意識を持ってもらう必要がある。しかし、現代では視聴者に共同体意識を持ってもらうことは難しい環境にあり、それはめちゃイケにも当てはまった。出演者と視聴者との間で共同体意識が生まれなくなった結果、めちゃイケの笑いが成立しにくくなり、視聴率が下がってしまったのではないか。

というのが、私の持論です。

前半にも書きましたが、「いじめっ子的な笑い」と聞くと悪く聞こえてしまいますが、「いじめ欲求」のはけ口として日本社会にとって必要な笑いであると思っています。(日本のバラエティ番組がそればっかというのは問題ですが。)

そんな笑いを究極的に突き詰め、20年以上に亘ってハイパフォーマンスを発揮し続けた『めちゃ×2 イケてるッ!』。
終了してしまうのは、とても残念です。
ですが、自分の青春時代にめちゃイケがあったことは非常に幸運でした。
自分の青春時代にめちゃイケがあって本当に良かった。
めちゃめちゃ笑わしてもらいました。


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