この記事はエンドゲームを1回目観終わった後に書いた記事です。
2回目を観てみると作品の印象が大きく変わりました。
(2回目鑑賞後の感想記事はこちら)
感動で涙したけど、どうしてもモヤモヤ感が残ってしまったのでブログに書かせてもらいます。
平成最後の超大作、「アベンジャーズ/エンドゲーム」。
アベンジャーズの11年を締めくくる大変すばらしい映画でした。
こんなにも公開が待ち遠しく、観賞中こんなにも終わってほしくないと思った映画は初めてでした。
が、どうしても自分の中でうまく消化できないことがありました。
モヤモヤ感の内容
批判している人がよくやり玉に挙げている「総集編感」は、そこまで気になりませんでした。
強いて言えば、ハラハラ感に欠けているかなとは思いました。
ただ、スパイ映画によくあるハラハラ感を描くのではなく、ヒーローの内面を描くことに注力したからこそなのだと解釈しています。
自分の中でモヤモヤ感か残ってしまったのは、マーベルが考える正義の答えをこの映画でしっかりと示してくれなかったからです。
インフィニティ・ウォーで描かれたサノスの正義
インフィニティ・ウォー(以下、IW)でサノスの正義が徹底して描かれていました。
「宇宙全体の人口を半分にして世界の均衡を保つ。」
これがサノスの正義でした。
サノスは自身の全てをかけてこの野望を達成しようとします。
しかしこれはもちろん偏った正義です。
だからこそヒーローたちは結束してサノスの野望を阻止しようと戦ってきました。
IWでは、「正義とはなんぞや?」というヒーローとして究極な問いをサノスがアベンジャーズに突きつけた形になります。
エンドゲームで期待していたこと
これに対してエンドゲーム(以下、EG)では、アベンジャーズ側はサノスにどんな答えを示すのか?
その回答を今作では期待していました。
つまり、サノスの正義は間違っているとサノスに分からせてやってほしい。
パワーゲームで勝つだけでなく、正義としての哲学も優っていることを示して欲しかった。
実際のエンドゲームの内容
しかし、蓋を開けてみると、
・目的を達成し老後生活を送っているサノスを怒り任せに斬首
・過去から現れたサノスをパワーゲームで向かいうち、最後は指パッチンで敵側を抹殺
うーん…
ここに自分のモヤモヤがあります。
もちろん、ラストの戦闘シーンには感動し、涙しました。
壮大で神秘的なあのシーンは、今思い出しても鳥肌が立ちます。
なんですが、アベンジャーズがやったことって結局サノスとやってることと変わらないんじゃないか?と思うのです。
自分にとって都合の悪い存在は殺す。
アベンジャーズとサノス、どちらがそれを実行できるか?
この競い合いの勝負になってしまったのではないでしょうか?
偏った正義を掲げた悪人は、結局は殺して防ぐことしかできないのか?
11年間描いてきて、最後がこの答えなのか。
というのが自分のモヤモヤ感です。
もちろん、アイアンマンが指パッチンの時にどんな願いをしたのかは描かれていません。
それは今後描かれるのでしょうか?
死んだ後もアイアンマンの存在が今後の作品で語られる展開を想うと胸熱です。
ただ、この作品を一つの終わりとして描かれていたのであれば、ヒーローとしての哲学的な答えを最後に示して欲しかった。
サノスの正義はなぜ間違っているのか?
その回答をギャグではぐらかされてしまった印象を受けました。
もちろんそのギャグには笑わされましたが。
サノスに対しては、肉体的な勝利だけでなく、精神的な勝利も描いて欲しかった。
そこがちゃんと描かれずに終わってしまったので、自分の中にモヤモヤ感が残ってしまった作品でした。
最後になりましたが、
ありがとうアベンジャーズ。
同時代を生きれた幸運に感謝しています。
2回目鑑賞後の感想はこちらの記事に書いています。
冷静に観れたことで、少しだけアベンジャーズの正義が理解できた気がしました。