村八分(むらはちぶ)という言葉を今でもたまに耳にします。
「集団的イジメ・無視」という意味合いで使われますが、起源を調べると現代の解釈とちょっと違うようです。
本来の起源には、日本的な義理人情が含まれていました。(諸説あり)
今回は、村八分という言葉の意味から日本社会の共同体意識について考えてみました。
村八分の意味
Wikipediaによると、
村八分(むらはちぶ)とは、村社会の中で、掟や秩序を破った者に対して課される制裁行為であり、一定の地域に居住する住民が結束して交際を絶つこと(共同絶交)である。また、「村八分」は集団行動主義の日本社会における代表的ないじめの代名詞。
一人の者に対して、集団で制裁を加える行為です。
これ自体は最低の行為ですが、語源を調べてみると、どうやら本来の意味はまだ救いのある行為のようです。
村八分の語源について
まず、村の共同体には、みんなで助け合うべき行為が10個ありました。
①出産 ②成人 ③結婚 ④葬式 ⑤法事 ⑥病気 ⑦火事 ⑧水害 ⑨旅立ち ⑩増改築
「村八分にする」とは、これら10個の行為の内、「葬式」と「火事」以外の8つを断絶すること。
「葬式と火事の時は今まで通り手伝うよ。けど、それ以外(結婚・出産など)は一切無視するからね♡」
というのが、本来の村八分の意味のようです。
それではなぜ、「葬式」と「火事」だけは今まで通り手伝うのでしょうか。
2つの説が主にあるようです。
自分たちに被害が出る説
これは、Wikipediaに記載されていた説です。
葬式:死体を放置されると腐臭が漂う。疫病の原因にもなる。
火事:ほっとくと他の家に延焼してしまう。
どちらもほっとくと、自分たちに迷惑がかかるからこれだけは助けてやる。という説。
とってもドライな説ですね。
悲しい出来事だけは分かち合おう説
もう一方の説は、日本の考古学者の第一人者、樋口清之氏が著書『梅干と日本刀』で唱えた説です。
誰かと死別した際や、火事にあった時、そんな悲劇にあった時だけは、村のみんなで悲しみを共有しようじゃないか。という説。
人間は助け合っていかないと生きていけない動物だから、どんな人に対しても最低限の助け合いは必要なんだ。と、当時の日本人は考えた。
だから、村八分は非人道的ではなく、むしろ義理人情溢れる優しい懲罰なんだ!と、樋口氏は主張しています。(本書p.242)
じゃあ、水害の時は助けなくていいの? と思いますが、そこら辺の説明は本書には書かれていませんでした。。
1つ目の説はWikipediaに書かれていることから、最初の説の方が有力のようです。
が、個人的には2つ目の説であってほしいなぁと思います。
村という共同体を維持するために
どちらの説が正しいにせよ、制裁行為を行うにも最低限のルールが存在していました。
自分たちの共同体を守っていくために、制裁を下す時も最低限のルールは守ろうよ、と。
一方、現代の日本社会に目を向けてみると、最低限のルールすら無き「村八分」という私刑制度が大規模に行われているように感じます。
ネットでの炎上やマスコミによる不倫騒動などです。
最近のこういった私刑行為の容赦の無さは、共同体意識の喪失が関係しているように思えるのです。
共同体意識無き現代の日本社会
「村社会」、ひいては「家」という共同体すらも崩壊してきた現代の日本社会では、「国」以外に個人が属する共同体が無くなってしまったのかもしれません。
そんな中、最近になって共同体の役割を担い始めたのが「ネット社会」だと感じます。
集団との繋がりを感じられる存在という視点から考えると、ネット社会が共同体といっても過言ではないと思うのです。
・村社会の日本:個人⇒家⇒村落⇒国
・現代の日本 :個人⇒(ネット社会?)⇒国
しかし、ネット社会という共同体の構成員はあやふやです。(身元が分からない)
また、共同体を維持するために必要なルールもありません。
(偽名が使えるし、嫌われたらアカウントを停止すればよい)
そんなルール無きあやふやな共同体だからこそ、ストッパーが外れ、容赦無き私刑行為が許されてしまうのかもしれません。
現代の日本社会で行われる私刑制度
過去には、村社会で行う制裁行動にもルールがありました。
しかし、現代の村八分(私刑)行為には最低限のルールすらないように思えてならないのです。
その背景には、昔のような強固な共同体意識が喪失していることが大きく関係しているのではないでしょうか。
自分たちの共同体で制裁行為を行えば、いつかは自分に返ってくるかもしれません。
共同体に所属しているという意識を今までより少しでも強く持てば、ネットを騒がす容赦のない私刑行為もちょっとは減ってくるんじゃないかなぁと思う今日この頃です。
そのためには、最小の共同体である家族の在り方を見直していくのが一番の近道かもしれません。
自分が属する共同体をもう一度振り返ってみてはいかがでしょうか?
敗戦後、自国に対して自信を失った当時の日本人に対して、日本文化のすばらしさを再認識させようと努めた古典的ベストセラー本。昔ながらの日本独自の合理的技術がこれでもかと紹介されています。