3.11の回想 ~新宿高層ビルでの大地震~

東日本大震災が起きた2011年3月11日。
大学3年生だった私はその日、就職活動でとある不動産会社の企業説明会に参加をしていた。
場所は西新宿にある新宿住友ビルの43階

13時半から始める説明会ギリギリに部屋に入ると、私と同じようにリクルートスーツを身にまとった学生がすでに40名程座っていた。
「なんとか間に合った。」と思いながら入り口近くの空いている席に座る。

会場となった部屋は、壁一面が大きな窓で新宿の景色を一望できる素敵な部屋だった。

(イメージ写真)

高い所から街を見下ろすのが好きな私は、窓から見える景色に興味津々。
「説明会が終わったらゆっくり景色を見ておこう。」
そんなことを思いながら、13時半から企業の説明会を受けていた。

説明会も折り返しを迎えたその時、あの地震が起きた。

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地震発生

(・・カタカタカタカタ)

「うん? 地震?」
体が揺れていることに、学生の何人かが気付きざわざわし始める。
しかし、壇上で説明をしている企業の方は気付いていない様子。

企業の人「皆さんどうかしました? え? じし..」

ガガガガガガ!!!

ビルが大爆発したのかと思うくらいの大きな衝撃。
体が前後に揺れて視界が定まらない。
身体もなすがままでどうすることもできない。
幼い時、海水浴中に大きな波に飲み込まれ溺れた時の感覚をなぜだか思い出した。

「キャー!!」恐怖のあまり叫ぶ女子学生。
「皆さんテーブルの下に!テーブルの下に!」
指示に従い何とかテーブルの下に。
テーブルが倒れないように抑えるのに必死だった。
「(やばい。死ぬ。)」

どれくらいたったか分からないが、少しづつ揺れが収まってきた。
「怖かった・・」

しかし、恐怖はこれからだった。

高層ビルの免震構造

爆発のような衝撃が徐々に静まってきた。
机を抑える手も少しずつ力が抜けていく。

恐怖におびえていた学生たちも我に返っていく。

どうやら本震は終わったようだ。
しかし、
「あれ? まだ揺れてる? 」

最初は地震の幻覚かと思った。
しかし、やっぱり揺れている。
今度は横方向に。しかもどんどん大きさは大きくなっていく!

自分のいた高層ビルは地震のダメージを軽減するために、横に大きく揺れる免震構造になっていた。
外から見たらこんな感じに揺れていたんだろう。

動画だと揺れは小さいように見えるかもしれない。
が、実際にビルの中にいた私は、ビルがメトロノームの棒ぐらいはっきりと揺れている感覚だった。

「建物が前に進んでいる?」
と思ったら、後ろに大きく戻される。
ゆっくりだがとても大きな力で揺れ動くビル。

壁一面の大きな窓からは、新宿の地面が見えたと思ったら、しばらくすると灰色の曇り空が。その繰り返し。
中にいる学生はなすすべなく揺れに身を任せるしかなかった。
ほとんどの人が恐怖で叫んでいた。

しばらくすると、

ガッシャーーン!!

隣の部屋からガラスの割れる音が。
後になって分かったが、天井が落ちたらしい。
大きな音が聞こえ、部屋にいる人全員がパニックに。
多分みんな(自分も含め)窓が割れたんだと思った。
「このまま自分は窓から飛び出して死ぬんだな。」
本気でそう思った。
隣にいる女性は「死にたくない!」と泣き叫んでいた。

そんな状況が5分ぐらい続いたと思う。
その前の本揺れはおそらく30秒ぐらいだったか。
それでも途方もないくらいの時間の長さに感じた。
横揺れはその10倍ぐらいの長さ。
本当に永遠に感じた。

揺れが収まる

免震構造の横揺れもやっと収まってきた。
死を感じながら恐怖に怯えていた周囲の人々は疲労困憊でぐったりしていた。

「ビルから非難してください」との館内放送が流れる。
みんなこんなビルからは一刻も早く逃げ出したい。
しかし、エレベーターは使用停止。
記憶が確かではないが、ビルの警備員さんのような人に指示され、
階段で降りることになった(気がする)。

43階からの階段

43階から階段を使用して建物から逃げることに。
階段は打ちっぱなしコンクリートでらせん状の造り。
各階から人々がぞろぞろと階段へ流れ、狭い階段は大渋滞になっていた。

2秒に1段づつぐらいのとてもゆっくりなペースで階段を降りていく。
42階、41階、……37階、36階、…。
一向に地上に着く気配がない。
しかし、立ち止まるわけにはいかない。
みんな悲壮感を顔に出しながら無言で降りていく。
すると、

ガガガガガガ!

大きな余震が発生。
2回目の大きな揺れにすぐさま恐怖を感じる人々。
みんな手すりにつかまり倒れないように必死だった。

建物が揺れている間、
パラパラパラ。。
上からコンクリートの破片が落ちてきた。

今度こそはビルが崩れるのかと思った。
9.11の映像が頭の中で流れた。
下の方から女性の叫び声が響いてきた。

しばらくすると、余震の揺れも次第に収まってきた。
気を取り戻した行列が再び動き出す。
無表情でらせん階段をぐるぐる周りながら延々降り続けた。
その時の記憶はあまりない。
足ががくがく震えつつも、とにかく歩き続けた記憶だけがある。

やっと地上に

どれくらい階段を降り続けたのか分からないが、やっと地上に着くことができた。
達成感はなかった。
生きのびられたという安堵の感情はあった気がする。
足の筋肉は痙攣し、身体は休息を強く求めていた。

周囲を見渡すと、道路には同じようにビルから非難した人で溢れていた。
家族に電話しようとしたが、つながらない。

とにかく家に帰ろうと思い、最寄りの都庁前駅へ歩を進めた。
地上の階段を降りて改札のフロアに着いたとき、同じようにリクルートスーツを着て泣きそうな表情になった女性とすれ違う。
嫌な予感を感じながら改札に向かってみると、案の定、「運転見合わせ」の文字。

当時住んでいたのは中野だったので、仕方なく歩いて帰ることに。
駅をすぐ出た所にある新宿中央公園には、大勢の人々が避難していた。
同じ会社の人たちなのだろう、みんな不安の表情をしながら会話をしていた。
この状況で隣に知り合いがいるということがとても羨ましく感じた。
自分の孤独感が強くなる。

荷物が道路まで散乱した大久保駅周辺を通り過ぎ、1時間ほどかけ一人暮らしの自宅へようやく到着。
疲労困憊の状態でテレビを付けたら東北の津波の映像が。
リアリティーがなさ過ぎて、事実を受け入れるのに時間がかかった。

その日の夜

その日の夜、大学の後輩が池袋で帰宅難民になっているとの連絡があったので、自宅に泊めてあげることに。

歩いて向かってきているという後輩を迎えに明治通りに出てみると、
大量の人々が。

新宿方面から池袋方面に向けて、たくさんの人々がうつろな表情で歩いていた。
薄暗い中、途方に暮れた表情で大勢の人が同じ方向に歩いている。
そんな景色を見て私はなぜだか鳥肌が立った。
「ゾンビ映画みたいだな」と不謹慎ながら思ったのを覚えている。
後から振り返るとその場面が最も印象に残っている。

しばらくして後輩が到着。
家に入った私とその後輩はその後ずっとテレビにくぎ付けになっていた。

これが私の「3.11」でした。

書いてみて

3.11のその日を小説風に書いてみました。
記憶が定かでない部分もありましたが、すべて実体験です。
もちろん、自分よりも辛い体験をされた方は何万人といらっしゃるのだと思います。自分のこのエピソードなんて「幸運な」部類の経験なんだろうなと思います。

ただ、心の奥底でトラウマに感じており、どこかで吐き出したいと思っていたこと、
また、高層ビルでのあの恐怖を誰かに伝えたい、
そんな思いからこの文章を書いてみました。

高層ビルにお住まいの方orご勤務の方は免震構造でどれくらい揺れるのかということを一度知っておくことをお勧めします。

いつか必ず来るという首都直下型地震
3.11の経験をどこまで活かせるのか。
提出締切日の分からない大事な宿題を日本人は課せられている気がします。

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3.11後、購入した防災グッズ。
会社には防災グッズがあると思うので、自宅での被災を想定した準備が鍵かなと思っています。